年賀状を出す目的

今日は本来は自由日のはずなので自分の作業のための時間にしたかったのであるが、提出する必要のあるレポートを1つ仕上げるのみで1日が終わってしまった。勿体無い。どうも1つのことに集中するのが苦手なようだ。

本当は20日以降忙しいことを鑑みて年賀状のデザインを作成するはずだったのだが、結局作れずじまい。どこかで時間を作らなければ。

ところで、毎年年賀状のデザインをどうしようかと考えては最終的に何の変哲もない挨拶に終わるというパターンを繰り返しているのだけれど、年賀状そのものにはどのような目的があるのだろう。思えば現代においては人によって大きく答えが変わりそうである。

自分としては、年賀状は近況報告、改まって伝えたいことを伝えるための場として年賀状を書いているので、統一してプリントするデザイン部分に幾分の情報を入れて作成したい気持ちがある。もちろん友人にはしっかり手書きで(読めるかどうかは別として)メッセージを書いている。その中には普段メールのやりとりをしない人たちが多く、というよりほとんど含まれているから、年に1度くらいは、という気持ちが強いのかもしれない。

正直メールや電話の1本で済んでしまいそうであるが、年賀状の役割は、次の年に書くときに前年の年賀状を見返すことにあるとも考えることができる。なるほどデータは便利だが、見返す情報と見返さない情報があって、挨拶などは形に残しておくべきものなのだろう。

◆読了:猪瀬直樹『日本人はなぜ戦争をしたか 昭和16年夏の敗戦』
日米の開戦直前、「総力戦研究所」に集められた若手エリートたちが模擬内閣での議論の結果、日米戦必敗の予測を出す。当時の東條陸相はそれを聞いていながら、逆らうことのできない波にさらわれ無謀な戦争に突入する… 切ない物語だった。思えば自分は日本がなぜ戦争に突入したのか知らなかった。本1冊で理解できるほど状況は簡単ではないだろうが、日本が官僚的な考え方でずるずると戦争にもつれ込んだことは考えさせられる。しかし敗戦の結果として今の豊かな生活があるわけで、この敗戦の背景は断片的でもぜひ知っておくべきだと感じた。「戦争が悪い」程度の一本調子で思考を止めるわけにはいかない。